前回はパニック障害になったきっかけについてお話しました。そこで今回は、その後の経緯についてお話したいと思います。
前回の記事はこちら↓
初めてパニック障害になった翌日、救急外来へ
生まれて初めて過呼吸になったその夜、眠れない中ネットで調べて「パニック障害」という病名を知り、これが一番当てはまるなと確信しました。
翌日は主人とお出かけする日でしたが、車で迎えに来てもらって車に乗り込んだ瞬間…
冷や汗、閉塞感、息苦しさがぶわっと出て、慌てて外へ。
自分でも訳がわかりませんでした。
夫がいれば安心して大丈夫なんだろう、と思っていたので、まさかの予想外。
何度も車に乗ろうとしては、すぐに発作が出て外へ飛び出し、息苦しさから生理的な現象で涙がぼろぼろ出てしまい、夫に何度もごめんね、ごめんねと謝る始末。
夫もさぞ、びっくりしたと思います。
その時は日曜日。どこも病院はやっていません。
そこで夫の判断で「とりあえず病院へ行こう」と近くの救急外来へ。
しかし数分で着く最寄りの救急外来へ行く道中も、何度も発作が出てしまい、何度も何度も途中で車を停めてもらい、外に出て、また乗って、また外に出て、の繰り返しでした。
手が震えて指先ががちがちに硬直した時は、あ、終わった…と思いました。
救急外来へ行ったものの、意味がなかった
当たり前ですが、救急外来へ行っても精神科ではないため、吐き気止めだけを処方されて帰されました。
少し落ち着いたため、近くのイオンへ。しかし車の中が怖くてたまらなく、何となく窓を開けると割と落ち着き始めたので、12月の真冬でしたが窓をずっと開けながら車で移動しました。
イオンの中でもずっと閉塞感が起こり、何度も歩みを止めたりしましたが、なんとか夕飯を食べることに。
お店の中でも発作が起こりそうになりますが、とりあえずご飯を食べました。そして食後にすぐにお手洗いで吐きました。
車の中で、夫に泣きながら話した
夫には、おそらくパニック障害であることを伝えました。車の中で泣きながら話しました。
その時私は個人事業主をしていたため、今後どうなるかわからないこと。個人事業主のため傷病手当などがないため、収入面も不安定になる可能性があることなど、不安なことも伝えました。
何度も謝る私に対して、大丈夫だからね。お金の心配もしなくていいからねと慰めてくれました。
その後、なかなか病院に行けず
翌日、精神科へ行こうと決めました。ですが、最寄りの精神科はなく、電車かタクシーで行くしかない距離にしかありませんでした。
困り果ててしまい、とりあえず徒歩で行ける範囲の病院(内科)へ行き、色々と話をしましたが、やはり精神科へ…と言われ、睡眠薬だけ処方してもらいました。
ついに意を決して精神科へ
何日も悩んだ末に、やはりこのままではいけないと思い、意を決してタクシーを呼んで、精神科へ行きました。
20分以上かかるため、タクシーの中で何度も発作が起こりそうになりますが、コロナの影響で窓が開いていたので、ギリギリ耐えることができました。
精神科へ行き、問診票、バウムテスト、心電図など色々とやった後に、いざ受診。症状を話すとやはり「パニック障害だろう」と言われました。
とにかくコーヒーをやめて、漢方を飲んだら治るからと言われたので、加味逍遙散の漢方をもらって帰宅しました。
コーヒーを完全にやめて、漢方を飲み続けた
とりあえず医師の言う通りにカフェインを一切断ち、漢方を飲み続けました。
すると予期不安はあるものの、過呼吸に至ることはほぼなくなりました。
それから数ヶ月、漢方を飲みながらカフェインを断つということをひたすら続けました。
同時に、個人事業主でずっと家にいるのが良くないのではないかと考え、スーパーのバイトの面接の予約も入れました。
ある日電話が鳴り、スカウトされる
そんなこんなで個人事業主の仕事をセーブしながらバイトの面接の予約を入れて、翌日面接が決まっていたある日のこと。
昔やりとりしていた会社から突然電話が鳴り、至急対応して欲しい案件があると依頼を受けました。
事情を聞くと、依頼していた人が急遽入院となってしまい、デザインがストップしてしてしまったこと。しかし納期が数日後に迫っていて大変困っているとのことでしたので、依頼を受けることに。
依頼を済ませて落ち着いてから、いま何をやっているのかと聞かれたので、パニック障害になったこと、バイトを始めようと思っていることなどを伝えると、新しく会社を立ち上げるので、ぜひうちの会社で働いて欲しいと言ってもらい、完全フルリモートワークで正社員になることが決まりました。
地獄の始まり、うつ病も発病
最新は順調に仕事を始めることができましたが、会社を立ち上げるスタートメンバーのため、社員は私一人でした。
また、声をかけてもらった社長ではなく、別の人間が社長(声をかけてくれた社長は、その会社の役員で株主)であることから、社長とはほとんど初めましての状態からスタートしました。
が、その社長が癖のある方で、おそらくアスペルガーだと思うのですが、色々とやらかすことが多く(社長なのに納期を守らない、スケジュール管理ができない、アラートを出しても対応できないなど)、どんどんと追い詰められることに。
社員は私だけのため、他に相談する人もいません。
その後新たに、別のメンバーが参画(社長の知り合い)してくれることになりました。
相変わらずトラブルを起こし続ける社長に業を煮やした役員が雇った人で、その方はとても優秀な方でした。
社長が色々とやらかすことを話してみると、実は…ということで色々と教えてもらいましたが、その社長は過去にも何度か会社を立ち上げたが、全て失敗してきたことや、他の社員に愛想をつかされてきたことなどを教えてもらいました。
どうやらトラブルメーカーの社長であることがわかり、絶望しました。
体調がどんどん悪化、精神科へ
トラブルメーカーの社長のもとで働くうちに、段々と精神バランスが崩れていきました。
パニック障害も相変わらず落ち着かない中、不眠、嘔吐、微熱などが起こり始めました。
朝が起きれないというより、起きていてもまともにデスクにつくことができなくなってきます。
そこで色々と調べて口コミの良い精神科へ行くことに。
血液検査、問診、テストなどを経て、パニック障害であることや、現在の体調について話をすると、「おそらく双極性II型でしょう」と言われ、しばらく通院することになりました。
それでも治らず、ついに樹海へ行くことを決意
何度も精神科へ通い、薬を服用しながら仕事をしていましたが、体調は回復するどころかどんどん悪化していきました。
もはや耐えきれなくなり、ある日主人に
「もう耐えられないので樹海に行きます」
と泣きながら話をして、口座番号などを教えました。主人は必死に止めてくれました。
仕事をやめればいいこと。お金は出すから何も心配はいらないこと。とにかく休むことなど、色々と説得してくれました。
しかし私は精神状態がすでにおかしかったため、それらの提案を全て却下し、とにかく死ぬしかないんだということを伝えました。
すると普段温厚で一切怒らない主人でしたが、いきなり一瞬だけ声を荒げ、そしてそのあとすぐに「お願いだから死なないでよ」と、その時は悲しみと苦しみの混じった表情で言われ、初めて見た主人の姿にハッと我に帰り、号泣しました。
休職の打診をするが、却下された
そこで勇気を振り絞って、役員に休職したい旨を伝えました。しかし、却下されました。
理由としては、役員が持っている会社でうつ病になった方がいるのですが、その方が数ヶ月休職しても、いまだに復職の目処がたたないことから、休職しても治らないのだから、休職ではなく調子のいい時に働けばいい、と言われました。
休んだ日も給料は変わらず出すから、と言われたのですが、調子の良い日なんてあるはずもなく、追い詰められた私はさらに体調が悪化。
数日休んでまた仕事をするものの、あくまでも休んだ罪悪感で何とか仕事をしているだけであり、精神的にどんどん追い込まれます。
不眠症も酷く、朝方まで一切眠れなくなりました。何ヶ月も睡眠時間は2時間を切っていました。
嘔吐、不眠症、微熱、倦怠感、眩暈、耳鳴り、1日に何度もお腹を下すなど、もはや満身創痍の状態に。
ついにはご飯を一切食べることができなくなり、身長164センチで体重が40キロにまで落ちてしまい、目眩で何度も部屋で倒れそうになりました。
その後どうなったのかについては、↓の記事でお話しています。